おさむ茶マイルーム

 「夏が来れば思い出す はるかな尾瀬 遠い空…」夏休みが終わるころになると思い出す極です。過ぎ行く夏を惜しむ胸キュンとなるいい曲でした。夏といえば忘れられないのが、21年前の日航機墜落事故。その知らせが飛び込んできたのは1985年の8月12日、お盆の期間1日中TV画面とにらめっこした記憶が、それにその便に坂本九が搭乗したこともあって余計に記憶に残っている。

 坂本九といえば、ロカビリーとGSの中間地点のビッグアーチスト、その代表曲が「上を向いて歩こう」昭和を代表する名曲でした。「♪上を向いて歩こう 涙がこぼれないように…」その歌詞に、当時の若者がどれくらい勇気付けられたことでしょう。「ウヘェウォ ムウゥイテ アハルコオゥオゥオ」 と独特の節回しは、小さい頃から母親に教えられた長唄の影響だと…何かの本で読んだことある。その歌い方が外国人にとってエキゾチックなものに写り、「スキヤキ」として全米チャートでナンバー1ヒットした理由がここにあったのかも知れません。
 
 今年のお盆で21回の暑い夏、間もなく来る8.15終戦記念日とともに、命の大切さを思い起こす夏です。
〜その1〜
先日衆院選の投票日でしたが、投票日といえば昔忘れられない苦い思い出がある。
持参した選挙券(入場整理券)が『水道料金納入通知書』だったから…笑えないよな情けなくて。

〜その2〜
福岡県の中学校で体育館完成記念に企画した講演会で、手違いから、予定していた数学者の秋山仁さんではなく、元ダイエーホークス選手で野球解説者の秋山幸二さんが訪れたという事件。講演依頼の交渉中で「秋山さん」としか言わなかったために、当日まで間違いに気づかなかったとか。秋山幸二さんが快く講演を引き受けてくれて、事なきを得たのだが、これも笑えねーよな。
先日、「さつま島娘」の芋焼酎をアップしましたが、もう1本珠玉の芋焼酎を紹介しましょう。これもいただきもんです。
桐箱をおもむろに開けると、「おっと出た〜」ここに鎮座する方をどなたと心得る。先の焼酎将軍「黒麹初垂れ様」にあらせまする、頭が高い下がれ、下がれ〜。
そうなんです、黒麹初垂れ「杜氏蔵座幸一作」は度数42度、原材料さつまいも(国産紅東)で、米麹 蔵元熊本県(球磨)常楽酒造です。美味いかどうか、まだ飲んでませんので分かりませんがご想像にお任せします、うふふ。
 先週、居酒屋メニューの中に焼きみそおにぎりがあったので、久しぶりに食べてみた。焼きみそおにぎりといえば、亡き母のおやつメニューのひとつだった。
 早速口にしてみて、母の作ってくれた焼きみそおにぎりとは、触感もだいぶ違いっていた。いまのはにぎりもやわらかく、焼き方もソフトだ。小さなときに食べた焼きみそおにぎりは、にぎりががっちりしていて、焼き方も表面がカリカリと音をたてるほど硬いものだった。おそらく母はおもいきり力を入れて握っていたのだろう。その力は彼女が生きてきたバイタリティを、たっぷりしっかりすり込んだつぶみその味は彼女の人生をあらわしているのだろうか。
 このメニューのお陰で、忘れかけていた焼きみそおにぎりと、母とのひと時を思い出し、なつかしさがこみ上げたひと時だった。
「昭和は遠くなりにけり」わが町も例外ではなく、平成13年に始まった駅前開発事業により、駅前大通りは一変した。古い建物や商店街が消え去り、新しい町並みできれいな景観に生まれ変わった。その陰で、慣れ親しんだ多くの財産?も失ったような気がしてならない。
 その一つが、寒河江では唯一温泉銭湯として親しまれた「なか湯」も近代化の名の下にひっそりと姿を消していった。きれいな温泉ではなかったが、そこはかとなくひなびた温泉浴場の雰囲気をかもし出し、多くの愛好ファンに支えられてきた温泉だったが…、昭和の匂いのするものが消えるのはやはり寂しい。
 「消えた山形」とい消えていった昭和の残像サイトがありますが、ワタクシも見つけました。旧県庁を東に上ったオークビル地下にあったクラブ「凱旋門」、県立図書館に向かう途中めっけ!ロープが張られ、うらぶれた姿を晒していました。

 「凱旋門」といえばステータスの紳士達がきれいなねえちゃんを夜な夜なはべらしたであろう高級クラブ…若い頃「いつか必ず行ってみたい」と憧憬の的でしたが、「夏草やつわものどもの夢の後」また昭和が消えて寂しいですな。
TVのニュース報道で、鶴岡市の鶴岡公園で松の幹にむしろを巻く冬支度 「腹巻き」 作業がオンエアされていた。いつもながらの晩秋の風景ですが、松の「腹巻き」とは松の越冬にあたり、樹木の幹の部分にこもをまきつける作業で、昔から行われて先人の素晴らしい知恵だと、あらためて感心しました。

 松にとって害虫のマツカレハの幼虫(毛虫)ですが、夏は松の木にいて、冬は地面に下りて越冬するそうです。そして越冬する際、 暖かいところに身を隠す習性をもっていることから、それを利用した昔ながらの駆除法で春先の 「啓蟄(けいちつ)」 のころ、 誘い込んだ害虫ごとむしろを取り外して焼却、 一網打尽にする…いわゆるワナというやつですな。
 最近はマツカレハも少なくなったそうで、どっちかというと「冬の風物詩」のようになっているようですが、松の腹巻き作業が終わると、 樹木の冬囲いや鑑賞池に放たれている錦ゴイの越冬作業など、 いいよいよ冬支度が始まるようです。そうこうしてるうちに、冬の足音がすぐそこまできているようです。

 セピア色したなつかしい写真が出てきました。
服装や髪型でだいたいの時代が判断つくと聞きますが、アイビーくずれというか7:3の変形ヘアーで、まさに昭和のど真ん中で青春してた頃です。そんな若かりし頃、高度成長時代の象徴だった大阪万博(昭和45年)へ無茶修業に、福岡経由で羽田から出発前の写真です。あの当時、深夜便というのがあってね、友人に見送られ出発と思いきやなんと出発直前に欠航に、台風でもないのに…いまだ欠航の理由が謎です。しょうがなくそのまんまトボトボと引き返すハメに、あれからですワタクシの人生が波乱万丈、ローリングストーン(転げ落ちる石)になったのは…。もう一度声を大にして言おう「オレの人生を返せ〜」
 昭和30年代の東京を書いた映画「ALWAYS3丁目の夕日」のなかで、力道山のTV観戦に近所中の住民が集まって熱中するシーンをPR版で観ましたが、そういえば金曜日夜8時といえば「プロレス中継」のような時代がありました。
 確か当時は、毎週ではなくて、ディズニーランドアワーとの交互放映でしたから、それはそれは2週間が待ち遠しかった記憶残っています。

 当時はもちろん白黒で、プロレスファンのみならず力道山は戦後のヒーローでしたね。60分枠で繰り広げられるバトルは空前絶後&抱腹絶倒ワールド。吉村道明や遠藤幸吉(山形出身ですw)が外人レスラーに反則技でいたぶられ、それを抗議するもレフェリーの沖識名に遮られ、怒り心頭の力道山はレフェリーのTシャツを引きちぎり、悪役外人を空手チョップで滅多切り…だいたいこんな展開でしたね。
 
  他に変り種で日系のグレート東郷という異色のレスラーもいました。 身長は170センチに満たない小柄なキャラで、下駄にド派手なはっぴ風ハーフガウンを纏ってリングに登場、対戦相手やレフェリー、観客にニヤニヤと意味不明な笑みを浮かべ、首をすくめながらリングを回る姿は不気味でした。
 しかし技らしいワザは頭突きぐらいなもので、もっぱらやられ役でしたがFブラッシーの噛み付き流血での老人のショック死事件が社会問題化したこともありました。 それにひきかえ、今のプロレスはショーアップされ大きく様変わりしました。先だっては、レーザーラモンHGや和泉元弥がリングに上がる時代ですから…。

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 昭和の時代は、ご近所に必ずといっていいほど駄菓子から日用品まで扱うお店がありました。お袋にねだったお小遣いを握り締め、一目散に駆け込んだものです。5円ですと、夏ですとアイスキャンデーかところてんにありつけ、10円でしたら豪華あずき入りミルクアイスが買えました。当時、ばら売りで1個50銭のアメもありましたから、今とでは隔世の感があります。

 絵にあるようなパンも、腹をすかした欠食児童にとっては、何よりのご馳走でした。酒を売ってる店では、店先でコップ酒を飲んでるオヤジもおりましたから、スタンドバーとファーストフード店を兼ねていたような…、子供にとっては1個10円のイチゴジャムパンやあんこパンを食べてるときが至福のときでした、もちろん飲み物なしでした。
 この絵にある少年は、今で言うアキバ系の元祖です。昭和30年代にあっても、少年のタイプは一部わんぱく系と一部オタク系に分かれておりました。少年雑誌に、必ずといっていいほどゲルマニウムラジオと言う電池無しでラジオ放送を聞く事の出来る簡単なラジオのキット通販の広告が載っていましたが、当時としては電気の要らないラジオということで画期的でした。

 そっち系統が好きな少年は、お小遣いをコツコツ貯めて通販で買い求め、家にこもりながら作製したものと想像にかたくありません。性能的には、雑音が多くて聞けた代物でなかったようです。時代かわって今のオタク系は自作パソコン、うちのセガレも作っておりました。

 偉大なる昭和のお笑い&エンターテナー植木等が亡くなりました・
 人それぞれに昔のTV番組に思い入れがあると思いますが、ワタクシの場合なんてったって「シャボン玉ホリデー」ですね。植木等のギャグ「お呼びでない」毎回違ったシチュエーションで登場して、日曜日の夜はオチのこのギャグでずいぶんと笑わせていただきました。
 合掌!
土曜日、美空ひばり2時間スペシャル番組を見た方いらっしゃいますか?
最初は、日本シリーズと交互に見てましたが、後半はチャンネル固定して釘付け状態になってしまいました。ひばりの歌は、演歌とかポップスとか、ジャンルを超えた説得力を感じます。

昭和という同時代を並行して生きてきた一人として、その生き様には感動を覚えます。特に晩年、命と引換えに歌いとおしたドームコンサート、その中の「愛燦燦」と「川の流れのように」は鬼気迫るものがありました。心の琴線にふれる珠玉の名曲ですね。

晩年の曲って、裕次郎の「わが人生に悔いはなし」にしろ、ひばりが自らの死期を知るかのように歌う「愛燦燦」にしろ、淡々と綴られる歌詞には、涙腺が緩んで止まりませんでした。愛だとか恋だとかを超越した詩にこめられた人生哀歌…人生って悲しい時の方が多いから、ささやかな喜びでも嬉しい…不思議なものですね。

雨 燦燦)と この身に落ちて
わずかばかりの運の悪さを 恨んだりして
人は哀しい 哀しいものですね
それでも過去達は 優しく睫毛(まつげ)に憩(いこ)う
人生って 不思議なものですね

「ホルモン食べて明日も元気!」そんなノリで、今夜職場の暑気払いがありました。懐かしい昭和を思い出しながら、ホルモンや焼肉をゆっくり味わうことができるお店「昭和ホルモン亭」という店が地元にもオープンしたという噂を聞きつけ、職場の有志で乗り込みました。
 
 店内はまさにレトロそのもの「ALWAYS三丁目の夕日」の世界でした。昔なつかしの映画ポスターが貼られていて胸キュンワールド、でも客層は若い層が多くて意外なミスマッチみたいな…。

 メニューはそのまんまホルモン、といっても30種類以上の新鮮な素材をリーズナブルに楽しむことができました。特に牛の頬肉はグッドでした。そして1,500円で飲み放題プランものん兵衛には嬉しい規格でした。

 ちなみにホルモン焼きの「ホルモン」の語源ですが、大阪が発祥地で「放るもん(=捨てる)もん」、元々は捨てる部位の肉を焼いたのが始まりだそうです。男性ホルモンと名前が似ているので強壮効果を期待して食べる人もいるそうですが、実は関係ないそうです。
 でも、内臓は栄養価が高いので、体力不足や体力回復による精力不足には効果ありそうですが…明日身をもって確認します(笑)。

 お金があれば何でも買える?何でもはムリでしょうが、時々若さが買えないかとマジで思うことがあります(笑)。「あの日に帰りたい」なんちゃって、ユーミンじゃないつ〜のてか。
 昭和48年、オイルショックに見舞われた年、高度成長から緩やかなカーブに転ずる時期だったような気がします。流行った歌は、心の旅、神田川、てんとう虫のサンバなど、今聞いても古さゼンゼン感じませんね。ブルースリーが「燃えよドラゴン」でデビューしたのもこの年でした。そんな青春真っ盛り、信州ドライブした時の写真…「♪若かったあのころ 何も怖くなかった ただあなたのやさしさが怖かった」。やさしさが怖い?なんじゃいそれ?