おさむ茶マイルーム

 山形の夏の漬物といえばなすで決まり!それが絶品なのである、とびぬけてうまいのである。それも一夜漬けがいけるのだ。だからこれは山形県へ行って食べるしかないのだが、それも採れたての小なすに「漬物の素」をつけて一夜漬けにして朝食のときにご飯のおかずにする。漬け方はいたって簡単。なすを手でごりごりとよくもんで、漬物の素をすりこめばOK。採れたてのなすは皮がやわらかいのですぐ漬かる。うまいのなんの、一つたべると二つ、三つとたちまち10個ぐらい食べてしまう。
 一夜漬けが一番うまいが、やはり自家栽培&採れたて、それに小ぶりのものでないとこの味は出ない。夏のなす漬けは、ぬか漬けと違ってあっさりとした塩漬けで、一口噛むとなすの滋味がじわりと歯にしみる。やわらかくて口の中に紫色の霧が降る。なすのエキスが口いっぱいひろがり、早朝のなす畑の朝露をなめるようだ。さわやかで奥深く、ジューシーでありつつ、なすの旨味が舌にまとわりつくのである。3食ほとんど食べていても、飽きが来ないから不思議な漬物だ。
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 昨年、ど根性大根がTVワイドショーをにぎわしましたが、自宅前道路にど根性すみれが可憐な姿でがんばっているのを発見!しばらく踏んづけないようにそっ〜としてよっと。
 山形で究極のローカルファーストフードといえば、お祭りや縁日に必ず出ている「どんどん焼き!」お好み焼きの一種だが、山形ではそれをこう呼ぶ。これぞ和製クレープ「どんどん焼き!」、現在では、山形市」霞城公園周辺で見かける。
 また、植木市や初市、花見の季節など、周辺の祭りやイベントで人が集まる時にも、よく出店される。 このどんどん焼き職人は営業地を特定しておらず、バイクで屋台を牽きながら山形市内を転々と巡っているとか。 確か現在の価格は200円で、裏メニューとして卵入りのサイズが大きいものを作ってくれる。この為には、自宅から生卵を持参する必要があるそうです。

 私達が子供の頃から慣れ親しんだものは今も健在です。なぜ「どんどん焼き」と言われるのか、またいつ頃からあったのか、その由来は知りませんが、物心ついた頃にはあったので50年以上前からあったには違いないのですが…。
 作り方はカンタン、小麦粉を水で溶き(普通のお好み焼きくらいの濃さ)熱した鉄板の上に、お玉1杯分をうすく伸ばしていきます。表面が乾かないうちに、青海苔、魚肉ソーセージ、焼き海苔、エビの粉を振り掛けます。表面が乾いてきたら反します。わりばしで生地をくるくると巻き、少し先端をつぶします。仕上げに表面にソース(ウスターソース)を塗って完成です。
 なんと山形市内には専門店が存在するとか!恐るべし「どんどん焼き」。


 庄内地方の冬の定番料理が、日本海の荒波にもまれた真鱈をまるごと使った「どんがら汁」、これを食べないことには山形の冬を語れません。

昨日、職場の「寒鱈を囲む会」に参加してきました。寒鱈の真骨頂は何といっても肝臓部分、庄内沖の大寒の荒波をくぐり抜けてきた鱈は、肝臓にたっぷりと油を貯えている。切り落とした頭、しっぽとともにこのキモをダシとして入れた味噌汁は絶品、何杯もおかわりして、終わるころにはお腹もたら状態…皆さんに食べていただけないのが残念です。新鮮なただみも2人分いただいちゃいました

 鱈は魚へんに雪と書き、その名の通り12月から2月頃まで真冬が旬の魚です。山形庄内地方の冬の定番料理が、日本海の荒波にもまれた真鱈はまるごと使った「どんがら汁」、身も心も温まる汁物で、これを食べないことには山形の冬を語れません、
 このどんがら汁の由来は、土地の人が胴とガラ(頭、骨等アラ)を一緒に煮るのでとか?。鱈は淡泊な味の魚という印象が強いが、庄内の冬のそれは濃厚,芳醇である。お値段のほうも「万単位」となるが、どこも捨てるところはない。身は煮付けにし、卵巣は糸こんなどとからめて炒り煮にし、タツと称する精巣は湯通ししてわさび醤油で食べたり、酢の物風にするそうである。
 寒鱈の真骨頂は何といっても肝臓の部分である。庄内沖の大寒の荒波をくぐり抜けてきた鱈は、肝臓にたっぷりと油を貯えている。切り落とした頭、しっぽとともにこのキモをダシとして入れた味噌汁を「どんがら汁」と称して、これが寒鱈の最高の味覚であろう。
 内陸地方では葱や豆腐を加えますが本場庄内では、冬の風物詩となっている岩のりだけの味噌仕立で、鱈と岩のりだけで作るのが特長です。この1杯を食べて「厳しい冬を乗り切ろう」そんな息吹きが感じられる郷土を代表する一品です。
 刺身は切って食するのが当たり前ですが、この前サクのまま(あのブロックのような状態です)かじってみたんです。これがもう不味いの不味くないのってねえ。ハハハハ…刺身って調理しないわけですから味は同じはずなんですが、ところが不味い。包丁で切ってツマの上に綺麗に並べるのが刺身で言うところの調理と同義になるほど重要なんですね。

 結局何が言いたいのかというとですね、食事と言う行為は結局五感をフル稼働させて「脳」が食べているんだろうなって事です。だから、匂いという味方がない映画や小説ってのには演出が必要であり、これは美味しいモノを美味しいと感じさせる事に繋がるわけで、それはすべからく面白いとか感動とか痛いとかと言う感情移入を促す事にも応用できるわけですから、美味しいモノを美味しそうに描ける作家ってのはすばらしい表現力のある人だなーと感心する次第です。
西の変り種ラーメンの横綱が「鍋焼きラーメン」とだとすれば、山形にもありました「とりもつラーメン」。新庄市で30〜40年前から食されていたというこのラーメンが注目を浴びるようになったのはここ数年のこと。そもそもラーメンとトリモツ煮というミスマッチのような取り合わせだが、トリモツ煮とラーメンの組み合わせは地元新庄では意外でもなんでもなく、結ばれるべくして結ばれた許嫁のようなものだったというのです。

 養鶏が盛んだった新庄では、大切なお客さまを迎える日には必ずといっていいほど鶏一羽をさばいてさまざまな料理にしてもてなしたといい、トリモツ煮もその一品で、食堂や居酒屋といった飲食店においても欠かせない一品だったのだそうです。ラーメン屋さんにもサイドメニューとしてしっかりトリモツ煮があって、ある時、お客さんがラーメンにトリモツ煮をトッピングして食べたら、これが、あっさりとしたしょう油味、トリモツ煮のまったり感がコクとなって絶妙な味わいにが評判となり、「とりもつラーメン」として定着していったのだそうです。

今回おじゃました「梅屋」は新しいお店ながら、ご主人が脱サラしてラーメン屋を開いたほどのラーメン好きとあって味へのこだわりは半端ではありません。麺は自家製の手もみちぢれ麺、鶏ガラ、とんこつ、野菜を合わせたしょう油味のあっさりスープ。鶏の臓物をくつくつ煮込んで冷蔵庫で一晩味をしみ込ませたトリモツ煮をトッピングするとクセがなくなり、それでいてコクのある極上とりもつになるのだそうです。食した感じは、意外なほどにあっさりとした旨味スープで、クセになってしまうのもうなずけます。

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「おふくろさん騒動」で森進一が謝りに作詞家川内広範宅を訪問した際、手土産に持参したことで話題なりましたが、とらや羊羹の代表商品がこの「夜の梅」。お知り合いの方にいただきました。

羊羹の切り口の小豆が、夜の闇にほの白く咲く梅を表すことから名付けられたそうで、1819年からの歴史あるそうです。な、なんと驚くなかれ1本2,625円ですよ.
肝心の味ですが、羊羹好きならこの味こそまさに練羊羹の醍醐味の一つでしょうけれど、 甘党ではないので評価は難しいですが、くどくない甘さはなるほどと思わせました。
いずれにしても、とらやの練羊羹が一般に評価されるのは、 この「味」が全国の練羊羹のスタンダードとして認知されているからでしょうか?
 GW終わった後って、心身ともに何ともいえないかったるさありますね。そんなノリの悪い時は下ねたで誤魔化すに限ります(笑)。人気ブログ「きっこの日記」で拾った「所変われば品変る」じゃなくて「所変われば(言葉の)意味変わる」をご紹介します。

 以前、ロシアからユーリ・アルバチャコフという、わざわざニポンに来て、ニポンの協栄ジムに所属して、ニポンの選手として試合をしてた。それで、ニポンの選手として試合をするのに、名前がニポン人には覚えにくいってことで、世界王者、海老原博幸にあやかって、「ユーリ海老原」って名前にしてた時期がある。本人はイヤがったんだけど、会長さんがつけたらしい。
 それで、何で本人はイヤがったのかって言うと、ロシア語で「エビ」ってのは、「女性のシンボル」のことだからだ。大昔に、ボボ・ブラジルって言うプロレスラーがいて、この「ボボ」ってのが、九州のほうの方言で「女性のシンボル」のことだったから、九州で試合をする時はたいへんだったなんて話を聞くけど、「ユーリ海老原」ってのは、これとは反対で、試合を見てるニポン人たちには普通の名前なのに、試合をしてる本人のほうが、イヤでイヤでたまんない名前だったとか。

 逆に沖縄では、東京での「女性のシンボル」の呼び名は使わないから、「漫湖(まんこ)」って言うものすごい湖がある。そして、この湖のあるところは、「漫湖公園」て言う公園になってる。それで、この湖の名前だけでもブットビなのに、この湖の近くの学校の校歌が、「漫湖のほとりにそびえ立つ〜」とかって歌詞だったらしい。何がそびえ立ってんじゃい?って聞かれても、それはもちろん「校舎」なんだろうけど、あまりにもデンジャーすぎる校歌だ。だけど、校庭に全校生徒が並んで、この校歌を歌ってたんだよね‥‥(笑)

 ちなみにこの湖は、ヘドロみたいなので汚れてて、これじゃあいけない!って思った地元の人たちが、何年か前に、「漫湖をきれいに!」ってスローガンのもと、クリーン作戦を始めたのだ。だから、色んな場所に、「漫湖をきれいに!」って貼り紙がしてあったそうだ。まあ、漢字で書いてあるからいいけど、言葉に出して読まれちゃった日にゃあ、東京からの観光客はたいへんなことになっちゃいそうですが…。
 3年前ローカルTV局の「山形ラーメン劇場」という番組で紹介された寒河江の「つぼ六」久しぶりに行ってまいりました。開店した当時、6坪の店で始まったことからこの名前がつけられたそうで、店構えは昭和40年代の雰囲気でかなりレトロ感覚です。ここのウリは、支那そばもうまいが味噌がダントツにうまい。味噌の麺は太麺で、もちもちして最高!さらにこだわりの自家製味噌で作るスープは自然な甘さが口の中いっぱいに広がり、体もポッカポカ、心もホッカホカ、体調の悪いときや風邪をひいてしまったときは『つぼ六』の味噌ラーメンを食べると元気もりもり、寒い冬を乗り切るには最適のアイテムです。具は挽肉と野菜タップリ、見るからに栄養満点600円は安い!

 先日デパ地下でつがる漬をめっけ!3年前弘前ネプタツァーを思い出し、懐かしくなって買ってきました。青森の名産で、数の子・スルメ・刻み昆布の醤油漬です。 似たようなものに北海道の松前漬がありますが、数の子が入っているところがみそかな?お砂糖は使っていないので、おつまみに良し …ご飯に良し…歯ごたえもあってご飯にかけると二杯はいけますね、食感もグッドでした。
 ここのブログで長女のちゃぺばかりを取り上げましたが、もう一匹次女のミルクというのもおりますが、これがほとんどアホ猫に近いです。猫なのに魚は大嫌い、冬はコタツにひきこもり、挙句のはてに口内炎を患う始末。
これで隠れて覗き見してるつもりらしいですが、ほとんど丸見えじゃん。
 昔懐かしいちゃぶ台、昭和の家族団らんに欠かせないアイテムですが、今の若い人はしらないだろうなー。いまやTVドラマでしかお目にかかれない代物になってしまいましたが、「寺内貫太郎一家」では、毎回小林亜星がキレてちゃぶ台をひっくり返すシーンが定番になっていいましたね。映画「ALWAYS三丁目の夕日」でも鈴木オートのオヤジを演じた堤真一もちゃぶ台返していましたが、元祖名人というかハマリ役は「巨人の星」の星一徹で決まりでしょう。一徹に殴られる飛雄馬、そして派手にひっくり返る飛雄馬とちゃぶ台…飛び散る夕ご飯姉(もったいない〜)必死に止める姉の明子。そういえば、明子のワンピースがいつも赤かった…そんな替え歌もあったな。でも「新・巨人の星」で明子が花形と結婚したのは許せなかったな。
 もとい、そんな昭和な茶の間は食べるものは粗末でも、笑ったり、笑ったり、わめいたり…ドラマそのもののような日常風景がありました。そこには頑固親父と優しい母がいて、あふれるような人情味がありました。いけねえ、どうも年のせいか懐古趣味に走るよなこのブログも…。
 秋の日はつるべ落としといいますが、最近気づけば外がすぐに真っ暗になっていて驚きます。ついさっきまで西日が差していたのに…、でもきれいな夕焼けを見られた日はちょっとウレシイ気持ちになりますね。

 日照時間に比例して、ネコの睡眠時間を長くなっているようです。
ネコって居心地のいい場所、暖かい場所を見つける天才で、昨日も天日干ししたばかりのフカフカ布団に一番乗りで、昼寝を楽しんでいました。いつもいいとこ取りなんだよな、女性と同じでネコって…。


昨日は寒河江の初市、江戸時代から続く小正月の伝統行事です。
寒河江市ではだんご木市として親しまれて、山形市ほどではないものの、初あめ、団子木の縁起物や、臼、まな板などの木工品、などの露店がにぎやかに立ち並びます。
だんご木とは、米の粉で作っただんごを枝につけ、大きな稲穂に見立てた船煎餅や宝船などで飾り付けた縁起物のことで、大黒柱や神棚に飾り、今年の豊作を祈ります。